過去の企画展示

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2018年

長島に架かる情景

長島に架かる情景

長島に架かる情景
[開催期間] H30.12.20~

1988(昭和63)年5月。わずか30メートルの海峡に一本の橋が架かりました。橋の名前は「邑久長島大橋」人間回復の橋とも呼ばれました。架橋運動の開始は1972(昭和47)年。開通までには実に17年もの時間を要したことになります。邑久光明園と長島愛生園入所者で組織した「合同架橋委員会」の会議は開通まで200回を超え、各所への陳情は50回以上にも及びます。また、これ以外にも入所者自治会としての会議や陳情は数え切れません。それだけ、この端は偏見や差別のため故郷を追われ、療養所での生活を余儀なくされた人々にとって念願の橋だったのです。本企画展では、橋を架けるためにひたむきに運動した入所者の足跡と、そこに思いを馳せた入所者の姿を入所者自治会が所蔵している実物資料と、機関誌「愛生」に寄せられた投稿を元にご紹介します。

2017年

十坪(とつぼ)住宅をめぐる視線

十坪(とつぼ)住宅をめぐる視線

十坪(とつぼ)住宅をめぐる視線
[開催期間] H29.5.1~

十坪住宅とは住居の建築資金を一般の寄付金に頼り、建築作業のほとんどは入所者が行い、完成すると国に寄付する、という一連の運動により建てられた建造物です。1931(昭和6)年、昭和恐慌による経済危機や、満州事変の勃発などが起きた時代。国の予算は経済対策や戦費に割かれ、政府は療養所へ十分な予算を捻出することが出来ず、新たな建物を建造する予算は確保されませんでした。同じ頃から本格的に行われた「無癩(らい)県運動」では文字通り癩(患者)の無い県を目指し、療養所の医師達が各県で講演会を行い、ハンセン病の感染力と皇室のご仁慈、そして差別のない近代的な設備が整った療養所で生活することこそ患者のためだと喧伝しました。この考えは「救らい思想」と呼ばれ、広く社会に浸透し、この思想に共鳴したさまざまな団体や市民の多くは、善意で寄付を集め、長島愛生園に150棟もの住宅が寄贈されました。その一方、多くの患者は無癩県運動による偏見や差別により故郷を追われ、家族からも追われ、療養所へ入所せざるを得ませんでした。療養所では増え続ける入所者のため居住環境が貧しく、入所者の多くは十坪住宅などの共同住宅で生活しました。すべての患者を強制隔離したい国の視線。患者を救いたいという市民の視線。隔離された入所者の視線。そして少しでも良い住環境を得たいという入所者の視線。その全ての視線が交錯したものが十坪住宅と言えます。本企画展では、1934(昭和9)年に発行された「愛生」十坪住宅建造寄附金三万円突破記念号の記載記事を中心に、十坪住宅をめぐる様々な「視線」を紹介します。

2013年

医師 神谷美恵子が見た世界~長島愛生園の人々とのふれあい~

医師 神谷美恵子が見た世界~長島愛生園の人々とのふれあい~

医師 神谷美恵子が見た世界
[開催期間] H25.12~

神谷美恵子は1958年から14年間、長島愛生園で精神科医として勤務しました。療養所のほとんどの入所者は病に加えて、強制隔離、ハンセン病への偏見や差別のために、生きることへの苦悩や不安を抱えながら生活を送っていました。神谷医師は精神疾患の診療を行いつつ、悩みを持つ多くの入所者に静かに寄り添い、自らの思索を深め、その中から名著「生きがいについて」「人間をみつめて」等がうまれました。本特別展では長島愛生園で神谷美恵子が入所者をどの様にとらえていたのか、そして入所者は彼女をどの様に見ていたのかを、その著作の中から探り、関連資料とともに展示いたします。様々な悩みが多い現代社会において、彼女の思想は私たちの「道しるべ」となりうるものです。是非ご来館いただき展示をご覧ください。

2012年

新良田~青春の記憶~

世界の島は語る

新良田~青春の記憶~
[開催期間] H22.5.9~

新良田。この地は愛生園の穀倉地帯して「新良田農区」と呼ばれ、秋には実りの穂が頭を垂れていました。
1953年(昭和28年)、「らい予防法闘争」の結果、療養所入所者のための高等学校の設置が決定され、1955年(昭和30年)、この地に岡山県立邑久高等学校新良田教室が開校しました。
生徒たちは全国の療養所から集り、寄宿舎で共同生活を送りながら、この学び舎で学業に励みました。あたりまえの高校生が持つ将来への夢や希望は胸に抱きつつも、ハンセン病であったがための苦悩、社会の根強い偏見や差別に対する怒り、当時の複雑な心境を彼らの文章の中に見て取ることができます。

2011年

世界の島は語る

世界の島は語る

世界の島は語る

海・・・
それは島の療養所に隔離された者にとって、社会や家族との「壁」そのものでした。療養所の入所者たちはこの海を眺め、故郷を想い、家族を想いました。
またそれは、日本の療養所だけではありませんでした。世界各地でハンセン病患者に対し島への隔離が行われ、その入所者たちも同様に「壁」に涙したのです。
現在その島々は、隔離の記憶をあえて抹消し、まったく新しい歩みをはじめたもの、隔離の記憶を乗り越え、新たな意義を見出そうとするもの。状況は様々あります。
世界の島の声に耳をすませば、日本の島の療養所、その将来を考えるうえで重要なメッセージが聞こえてくるのではないでしょうか。

長島愛生園歴史館×笹川記念保健協力財団

2010年

特別展 望ヶ丘の子供たち

特別展 望ヶ丘の子供たち

[開催期間]
H21.5.10~H22.5.8
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